MMさんの地球一周の旅





第7回 >>> いつかまた・・・。


 クルーズも いよいよ終盤。
「大きな船はいつも、私たちの島に悪いものばかり持ち込んできた。鉄砲とか疫病とか。あるいは私たちの島から いろんなものを持ち去っていった。あなたたちピースボートは、初めて、大きな船で“平和”を運んできた。何も持っていかず、“幸せ”を置いていってくれた」。また来なさい、と握手して見送ってくれたタヒチの長老の言葉を、MMは忘れられません。子供たちに遊んでもらったり食事をご馳走になったり、歓迎してもらったのは むしろこっちなのに…。

 コンセプトの“出会うための旅”。それは船内・寄港地を問わず、また人間だけでなく自然や文化、歴史など、実に多くの「出会い」がありました。英語よりもスペイン語の言語圏の広さに驚いたり、街並みや物価がとんでもなく変わることに戸惑ったり。
 12月から3月までの間に、春夏秋冬をすべて経験し、アジア〜アフリカ〜南米〜ポリネシアまでを航海してきた私たち。たった3ヶ月だけど、一生ものの経験をして、大いに刺激を受け、そして たくさん友達ができました。
 参加してみて初めて分かったこともあります。良い経験ばかりではなかったし、取りこぼしたものもあったでしょう。でも、知らないよりは知っておいたほうがいいはずだ と思って船に乗りました。知れば知るほど 自分の無知を思い、会えば会うほど 会えない人の多さを思う旅でした。

 帰国してみると、この間に日本の状況もずいぶん変わっていて(自衛隊はイラクへ行き、「モーニング娘。」はまた人数を増やしていた)…ただでさえ、いろんな経験をして消化不良気味なのに。

 MMは帰国後、まず船で描いたたくさんの似顔絵をネットで公開し、手作りの新聞を出しました。その後の人生が変わった なんて言うとおおげさに過ぎますが、時事ニュースを観るようになったとか、フェアトレードの店で買い物をしてみた、くらいの変化はあったかな。たまに当時の仲間たちと連絡をとって集まったり。…いつかまた、世界の友達に会いに行きたいなぁ。(終わり)



第6回 >>> 船内エコ生活。


 MMが持参した日用品は、歯ブラシと歯磨きチューブのみでした。固形石鹸がアメニティとして備わっていたので、3ヶ月間、髪も体も服もそれで洗ってました。
 船内生活は、全体的にエコ生活です。
 食事は、時間を決めてのバイキング形式。自分の食べられる分だけを皿に取り、取ったものは残さず食べるのが基本。大皿に少なくなった頃合を見計らって、クルーが追加を作ります。それも、残り時間を考慮して必要な量だけ。それで余った料理は、クルーの賄い食に充てられたり、ちょっと手を加えて、翌日の食事に再現されたりもします。安い船なのに(安いからこそ?)、ずいぶんがんばっていると好感を持ちますね。

 生活用水は各寄港地で補給するので、各国水事情が推し量れたりします。
 氷河に近い海域では清冽で美味しい水を堪能しましたが、処によっては、トイレの水が黄色くなったり、シャワーのお湯が鉄臭かったり、歯磨きの水が塩っぱかったり。もちろん、船の濾過装置は通してあるし、食事用にはもっときれいな水を使うので、直接人体に有害というわけではないのでしょうが。
 ただ、料理に文句をつけたり、水が変わると真っ先に不満を言ったりする人に限って、食べ残しも無駄遣いも、出すごみも多いような気がします。

 船内で出たごみは、規定に沿った方法で、「海中投棄」されます。量を極力減らす努力はするけれど、それでもごみは出てしまう。甲板の上から見ていると、船倉の小さい扉が空いて、クルーの投げ落とすごみ袋がドボンドボンと青い波間に沈んでいくのが見えて、自分もやっぱり「ああ、棄ててる」と後ろめたい…。
 ピースボートで環境問題を唱えるといったって、ごみをゼロにすることはたぶん不可能なのです。ゼロにはできないまでも、じゃあせめて、減らそうとか自然に還りやすいものにしようとか、そういう努力は、船だろうと陸だろうと怠るべきでないと思います。

(MMは今日もごみを分別する)



第5回 >>> う〜ん、ダイナム…。


 MMは、船内新聞の局員でした。
 新聞作りは深夜の仕事。昼間の講座や企画のあと、夜毎のお勤めが始まります。眠気との闘いは気力で制し、なかなか記事を出さないスタッフとの闘いは根性で制し…。そうして明け方までには500部を刷り上げるのです。
 そんな局員たちの大敵…それが「揺れ」と「時差」でした。

 作業する場所は、船倉にある工房。
 ホワイトボードが床を滑り出す中、右に左に振られる理不尽な横揺れに必死で逆らいながら、下を向いて5mm方眼を見つめる局員たち。てきめんに、気分悪くなります。そんな日は人員も減ります。刷り上がりが遅くなると、早起きのオジさん方に責められたりもしますが...別にサボってたわけじゃないよ。

 船の旅では、飛行機のように一気に長距離を移動しないため、時差が1時間ずつ発生します。インド洋や太平洋をほとんど真西に直進した期間は、毎日が25時間。ここで、「減るならともかく増えるんだからいいじゃん」というのは甘い。落とし穴は、新聞局員の場合、“寝る”時間は増えなかったということです。
 もともと〆切ギリギリの新聞制作。5日連続で時差が生じれば、午前4時で終わるはずの作業も5日後には…。体感的には今朝の4時なのに、現実はまだ昨日の23時?? 記事の原稿集めもこれから?? …なんという恐るべきトリック。もう体は、おろおろパニック状態です(ちなみに1時間ずつ時差が貯まっていって、日付変更線を越えた瞬間に計1日分が「消滅」するのには、頭がパニックでした)。

 ひたすらに地球の表面を行く、船の旅。「地球一周ってこういうことなんだなぁ〜」
 “地球のダイナミズム”をいちばん体感できたのは、もしかして新聞局だったのかも。

 (帰国したMMは、しばらく“季節ボケ”&“陸酔い”)



第4回 >>> 地球の裏側の友達へ


 南米大陸、アルゼンチン。

 今日のMMは街頭で、ピースボートのプロジェクト「スペース」(SPACE;Share Peace, Art, Culture, Energy)の、歌とダンスによるパフォーマンス活動をやっています。曲は、The Boomの「島唄」。知る人ぞ知る話、日本の「島唄」は、何故だかアルゼンチンのサッカーの応援歌だったりするのです。ちょうどW杯の記憶も新しい頃、道行く人たちが足を止めて大喜びで聴いてくれました。MMは船に乗ってから知ったのですが、この歌詞は、沖縄の美しい風景にのせて戦争の悲惨さや悲しみを詠い、平和を願う歌。せっかくだから、日本語の歌詞の意味までちゃんと説明して、それで支持してもらえたら嬉しいな。

 スペイン語で解説しながら全てのパフォーマンスが終わると、観衆の中から「すごく良かった」「日本からわざわざ平和活動にやってくるなんて素晴らしい」「メールを送りたいので連絡先を教えてくれない?」と言ってくれる人が集まってきたんです!
 それは、私たちの訴える平和への思いに共感してくれる人たちが、顔の見える人間として、地球の裏側にいるということでした。それを「実感」しただけでもうMMはかなり感激。

 民間の国際交流のメリットって、こういうところです。この小さな積み重ねが最終的にはどれほど大きな力になるか、決して馬鹿にはできないぞ〜!

(MMの旅は今日も楽しい)



第3回 >>> 地球まるかじり@タヒチでのひとくち


 旅行すると食事が口に合わないの(涙)…なんて、MMに限ってそんな。好き嫌いなく、しっかり食べるのが旅の心得。気力と体力の源は「食」にあり、です。しかも今回の旅は地球一周。美食珍食とりまぜて、多様な料理を口にする機会がありました。そんな中からこの「ひとくち」をご紹介!

 頃は2月、処はタヒチのとある村。MMは長老から、先住民のマオヒ族に伝わる伝統的な飲み物、「シャカオ」を供されました。これは、ショウガ科の木の根を石で叩いて潰し、水をちょっと加えてさらに叩くと、どんどん粘りが出てきます。それをハイビスカスの葉で包み、何度も絞ってできたもの。飲むと、痛覚が鈍くなり、軽くトリップするとかしないとか…。軽い麻薬みたいなモノと考えて間違いなさそうですが、この鎮静作用のために、先住民は麻酔代わりに使うらしい。非合法ではありません、念のため。
 で、今MMの目の前には、椰子の実を半分に割った中に注がれた液体が、長老の手でうやうやしく差し出されているのです。灰茶色でどろどろして、土と木の匂いがして、なんとも怪しげ・・・否、神秘的(?)。 MMは、こういう状況がわりと好きです。もともと胃腸が丈夫で度胸もあるほう。たいていのものには果敢にトライしてしまいます。しかし…?

 口に含んだシャカオは、やはり泥臭くて非常に不味い。そのうち、舌が痺れるような強烈な刺激がやってきました。なのに「一気に飲み下すのでなく口の中でまわしながら少しずつゆっくり嚥下する」ように言われて、MMの口の中はすでに仮死状態。舌はそれから半日近くも麻痺していました。
 たしかに貴重なトリップを経験してしまった…でも、頭のほうは別に何とも…たぶん。 

(MMは今日も元気)



第2回 >>> 船内★うら話


 旅程の三分の二は航海なので、船内ではいろいろな企画がありました。その中で、ピースボートや船側のイベントではなく、乗船者が自分でやりたいことを申請して行なうのが「自主企画」。太極拳ができる人は「太極拳教室」、歌を歌いたい人は「合唱団」。「22歳あつまれ!」とか「夕焼け鑑賞会」なんてのもアリ。
 ひときわ異彩を放っていたもののひとつが、「赤道を見よう」でした。これは、船が赤道を通過する日の一発企画。デッキに集まり、海を眺めて、さぁ赤道を探せ!などとひとしきり遊んだら、赤い紙テープかなんかを持った黒子さんが出てきて、場が沸いたところで皆一緒に記念撮影(チャンチャン♪) …まあ、時間にしたら10分くらいの、ほのぼの企画です。
 その夜のこと。船の意見箱に、一件の苦情が出されたのでした。「赤道が見えなかった」と…。
 なかなかひねったノリだなぁとMMは唸りたかったのですが、どうも様子がおかしい、ひょっとしてマジ?? 世の中には、いい年をして子供のように素直な人がいるものです。主催者は悩んだ末に「申し訳ありません、冗談でした」と回答しました。別に 「水温が低かったので」くらい言ってもバチは当たらないんじゃないかと、主催者に同情するMM。

 ちなみに、一眼レフを構えて参加したこの方、「赤道直下の海面はうっすら紅く」、洋上に「標識」(『緯度0°』とか?)があると信じておられた様子。いちおう突っ込んでおくと、それって「赤潮」と、南北の「極点」では…。 (MMの旅はつづく)

※赤道・・・中国で使われ始めた言葉。 “赤”は「太陽」とか「南」を示し、「太陽の通る道(太陽がここの真上にあると考えた)」ということから、“赤道”の呼び方が生まれた。



第1回 >>> はたして船に乗れるんか!?


 明日から世界一周に出発するという12月某日。大学4年生でバイトに来ていたMMは、そのとき、まだ会社のパソコンで卒論を書いていました。さすがに職場の人たちも不安そうな気配。物言わずともその視線が背中に痛い…
 しかもその日は、八王子にこの冬初めての雪が降った日。もっと正確には、降るだけでなく、しっかり積もった日です。中央線が止まって帰ってこれなくなりやしないかとハラハラしながら、午後になってようやく完成した卒論を手に山梨まで向かいました。MMの卒論は、高尾のホームで穴あけパンチを使い、中央線車内で台紙に綴じられ、富士急行線の中で最終チェックされて完成したのです。本当に、よく間に合った(というか、よく無事に卒業した)と感慨深いものがあります。

 安堵とともに夕方帰宅したMMを待っていたのは、徹夜の荷造り作業でした。 3ヶ月の長旅といっても、基本は1週間×12でしょ!! と気合を入れて、これもまたギリギリでクリアー。荷物は絶対スーツケース1個、よし、7割強で収めた。
 翌早朝、ジャケットの下に着替えの夏物を重ね着し、雪の残る道を晴海埠頭へと向かうMM。期待と、若干の不安(その実体は、ほんとに世界一周するんかいなという実感のなさに他ならない)を胸に…

 これからMMは、NGO「ピースボート」の主宰する、第40回「南回り地球一周」フルクルーズに参加するのです。ともかくも、10年越しの夢、MMの世界一周が始まります。 (つづく)

 

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